40代で突然走り始めた理由
ランニングに興味がなかった私が変わった瞬間
40代になって、ある朝ふと「走りたい」と思い立ちました。
気持ちよく晴れた晩秋の早朝、妻と子はまだ寝ている時間でした。
そのころの私は、業務多忙で疲弊し、仕事と家の往復を繰り返す毎日にどこか虚しさを感じていました。
長距離を走ることにはまったく興味がなく、友人から「走ると気持ちいいですよ」と言われても、正直どこか他人事のように聞いていたのですが、この日はふと、自分のペースでゆっくりと走ってみようかなと思ったのでした。
初めて20kmを走った日のこと
この日、静かな朝の光の中に飛び出し、初めて約20kmを歩いたり走ったりして帰ってきたとき、
胸の奥に残ったのは、久しぶりに味わう心地よい疲労感と、泡波立っていた心が落ち着いて、満たされたような静けさでした。明らかに、走る前とは違う心のありようになっていました。
その日以来、私にとって走ることは、健康のためだけではなく、
日々の雑念を手放し、一人になって自分の気持ちを整えるための大切な時間になっていきました。
毎週末に自分のペースで10km程度走ることを何年も続けています。
50歳でFIREを達成し、時間の使い方を自分で選べるようになった今、走る頻度を週2回に増やし、この「走る」という小さな習慣は、自分の気持ちをリセットして整え、人生の主導権を取り戻すための確かな支えになっています。
走ることで得られた4つの喜び
心地よい疲労感が一日を満たしてくれる
朝走ると、その一日の時間を有効に使えた、という実感が得られます。
特に、朝早起きして日の出とともに走ると、本当に清々しい気持ちになります。
一人になり、雑念をリセットできる時間
自分一人の時間を作ることができて、走ること、一歩一歩踏み出すことだけに集中すると、ざわざわと波打ち荒れていた心が落ち着き、雑念を振り払うことに役立ちます。
また、頭の中で考えても答えの出なかった困難な問題の進め方や答えが、走り終わったときにはある程度の整理がつき、方向性が見いだせるようになっていることも多いと感じています。
大事なのは、走っているときに問題を直接考えようとせず、逆に何も考えないようにして、ただ走ることだけに集中するこです。なぜこのようなことが起きるかというと、走っている間に、脳が無意識の領域では考え続け、自動でその問題の解決策を探ってくれているのだと思います。
※これは元ゴールドマンサックスで毎朝3:45起床して走るルーティーンを10年以上も続けている投資家の田中渓さんも同じことを言っていて、大いに共感し嬉しくなりました。
デトックスと健康維持の実感
仕事の嫌な汗とは全く違う気持ちの良い汗をかいて、体をデトックスできる。体力の衰えを予防し、健康維持に役立ちます。私はランニング習慣のおかげで、20代からほとんど体重が変わっていません。
また何より、大好きなラーメンやハンバーガーなどの罪深い食事をする際の罪悪感を大きく軽減してくれ(10km走るとほとんどチャラになると勝手に思っています)ます。ランニング後に食べる食事は本当に美味しいと感じることができます。
誰にも合わせず好きな時間に走れる自由
誰とも時間を調整する必要はなく、好きな時間に好きなペースで行うことができます。
平日だけでなく週末も何かと忙しいという方でも、週末の48時間の中で2時間の空き時間を工面することができれば、気持ちよく汗をかく程度にランニングをして帰って、シャワーを浴びることができると思います。
村上春樹の言葉から学ぶ「走ること」と「生きること」
「十分な人生を送りたい」という視点
私にはうまく言葉にできなかったのですが、大好きな小説家であり、ランナーとして世界各地のフル・マラソンを走っている村上春樹氏が、著書の中で、日々走ることや走る意味について、以下のように上手に言葉にしてくれています。
日々走っている人たちは、長生きをしたいというよりも、「たとえ長く生きなくてもいいから、少なくとも生きているうちは十分な人生を送りたい」と思って走っている人のほうが、数としてはずっと多いのではないか」
※文春文庫「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著より引用
私は長生きもしたいし、生きているうちは十分に人生を送りたいと思っています。
ランニングは生き方のメタファー
また、こうも言っています。
「与えらえれた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることのメタファーでもあるのだ」
※文春文庫「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著より引用
これは人生の有限性を意識し、日々を充実させて生きて行きたいということにもつながり、50歳でのFIREを決断した私としても大いに共感する、素晴らしい表現だと思います。
世間には時々、日々走っている人に向かって「そこまでして長生きをしたいかね」と嘲笑的にいう人がいる。でも思うのだけれど、長生きをしたいと思って走っている人は、実際にはそれほどいないのではないか。むしろ「たとえ長く生きなくてもいいから、少なくとも生きているうちは十分な人生を送りたい」と思って走っている人のほうが、数としてはずっと多いのではないかという気がする。
文春文庫「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹著より引用
同じ10年でも、ぼんやりと生きる10年よりは、しっかりと目的をもって、生き生きと生きる10年のほうが当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。
与えらえれた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。このような意見には、おそらく多くのランナーが賛同してくれるはずだ。
無理なく続けるための、私なりのランニングの楽しみ方
長く続けるために大切にしていること|自分のペースで走る
村上春樹氏は、何度もフルマラソンに挑戦する中で、「少なくとも、最後まで歩かなかった」ということを誇りにされていて、もし自分の墓碑に銘を刻むとしたらこのように刻んでもらいたい、とまでおっしゃっています。
それはとても素晴らしいことだと思いますが、私は自分が気持ちいいと思えるスピードで、時には歩いたり、立ち止まって音楽を選曲したりしています。
無理なく、長く、気持ちよく続けるためには、他人や記録と競うのではなく、自分が気持ちよく走ることのできるペースで、気の向いたときに走るのが一番だと私は思います。
自分の足で走り、立ち止まることで見える景色
自分の足で走っていると、車で移動していたら気づくことのできない看板や街並みに目を留めることがあります。小さくても魅力的なお店を発見したり、時には車では入れない路地に進んで、行き止まりで戻ることになったりもしますが、新たな発見があってとても楽しいです。
これは人生にも言えることかもしれません。家庭と組織の論理の中で立ち止まることを許されず、家庭と仕事の繰り返しで心身をすり減らしている方は、ぜひ気の向いたときに、2時間を確保し、気の向いたペースで走ってみてください。きっと心が落ち着くことを感じることができ、新しい発見があるはずです。
FIRE後の生活を豊かにする「走る習慣」
自由な時間をどう使うかという問い
FIRE後の人生には、有り余るほどの時間があり、その時間をどう使おうとあなたの自由です。
その時間をより有益なものにし、人生を十分に生きたいと思う方には、これまで述べた理由から、週末に2時間だけ確保し、自分のペースで歩いたり、走ったりすることをお勧めします。
小さな習慣が人生の主導権を取り戻す
自らの意思で自発的に、自分で決めた距離を、自分のペースで走り切ることは、「自分自身の人生をコントロールできている」という感覚を大いに高めてくれます。走ることを続けたことで、私は50歳でFIREするという決断に踏み切る勇気と自信を持つことができ、早期退職を大いに後押ししてくれました。
また、走ることはFIREで得た自由な時間を、自分のために丁寧に使う行為でもあります。
これからも、人生の主導権を自分の手に取り戻し、手元に置いておくための小さな習慣を、大切にしていきたいと思います。
走ることがもたらす心の安定
走ることは、FIRE後に感じやすい「時間の空白」や「軽い焦燥感」を埋めてくれる習慣でもあります。ぜひ関連記事や親記事も読んでみていただければと思います。
◆関連記事
→FIRE後の寂しさや焦燥感と、その克服方法について
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→定年まで働くのがつらい50代へ|50歳でFIREした私のリアル体験(親記事)
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